よってって

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スプラッシュマウンテンに乗る時は少しくらい待たされてもいい

2018/2/18

宮津大輔著「アート×テクノロジーの時代」(光文社新書)を読破....!!

チームラボ、タクラム、ライゾマティクス、ザ・ユージーンといった最先端テクノロジーを駆使したアート作品を産み、そこから新たな価値観を生み出す企業のストーリー、取り組み、秘密を書いた一冊。
チームのあり方、日本古来の思想に回帰する、
本質の形のままアートをそこにおとしこむ、ストーリーを視覚化するためのアート...
面白い!共感するような話もたくさんあった。
多様性を認め、越境をよしとする雰囲気。
自らも空間の一部とする「超主観」などなど...
にしても、やっぱりきになるのは提示されていたAIの行き先
p.267「AIを人工知能ではなく、異なる生命体の知能として認識する」
そのほか、
人種差別のような迫害をAIに対して繰り返してはならない。
AIと人間が切磋琢磨する。

などといった趣旨の内容が書かれていた。

 

そのほか例として、

バーチャルホームロボットや人工知能型OSとの恋愛映画などが出されて、

人格を持つAIを提示して、倫理問題に対処しているように描かれていた。

 

でも...AIって人間が生み出そうとしているものだよね...?

それが人間を越えるかもしれないって言ってる....生命体って認めてる....
いや、怖くね??

生み出す以上、それに対して責任を負わなければならない。
親は子に対して責任を負わなければならない。

人間はAIに対して責任を負えるの?人格はほんとうに大丈夫?
生命体とちがって、発達のプロセスをすっとばして成人させるようなものじゃない?

生殖機能は?あるの?

生命体の定義としては"自己複製"機能があるが、
もしほんとうに意志を持ったとき自己複製欲求が生まれようものなら
どう複製していくのか。

細胞体もクソもない自らを...1からAIがAIを自ら作り上げようものなら....

と思うとゾッとしないか?

 

この本にあったアートの数々は魅力的なのもいくつもあったが、

最終章は共感できなかった。

 少なくとも、AIと切磋琢磨したいとは思わない。そこまでしてどうする。

それと、
p175
「『目的地までグーグル自動運転車でいく』のボタンをタップすると、
  車が迎えに来て、連れて行ってくれるとしたらどうでしょうか。
  そこには迷う余地、もっと正確に言えば他の選択肢は存在しません。」
いや、俺はいやだ。

そこまで電車を乗り継いだり、

歩いたりして「たどり着く」「見つける」さらには周りの町並みを楽しむ。

それ含めて楽しいのではないか。

 苦労して、手間暇かけて、ちょっとくらい待って、目的を果たすこと。

そう、人間の本来の『身体性』から得る快楽はそういうちょっとした
『苦労』と『偶然』があるからじゃないのか。
俺はスプラッシュマウンテンに乗る時は、
案外少しくらい待たされた時の方が感動する。